ちょっと目を離すとすぐにサボる。
やっぱりtwitterは偉大だ。
最近は八十八ヶ所巡礼を聴いています。
きっかけはなんだろうか。
とりあえず、なぜ生き物の目は二つなのだろうと思ったところが始まりだ。
勿論、虫はその限りでないが。
たしか、昔読んだ本では、草食動物は広い範囲を見渡すために顔の横に目がついていて、肉食動物はより立体的に獲物を捉える為に顔の全面に目が付いているという話だった。
なぜ、生き物は進化の段階で眼を増やすという選択肢が生まれなかったのだろう。
なんだったら360°ありとあらゆる方位を見渡せるような複数の目を持つ生き物がいたっておかしくなかったはずだし、そういった生き物は絶対に生存に有利なのではないか?
逆に言えば、目は二つで十分なのだ。
二つで十分だから増やす必要がない。
では、重ねて何故、目は二つで十分なのだろうか。
残念なことに最大数が二つの為に、サンプルが3通り、目の数が0,1,2までしかないが、それでも推察は可能である。
これも昔読んだ本の記述であった気がするが、目が一つではモノを立体的に見ることが出来ないとか。
だとすると、目が一つの時に確実に視認しうる次元は2次元ということになり、目が二つであれば3次元である。
目が増えることで視認できる次元数が増えるのではないか?
そうは言っても今から私が目の数を物理的に増やすことは不可能だ。
物理的に不可能ならば、精神的に目の数を増やすのだ、心の目ともいうではないか。
脳に瞳を与えるのだ。
さすれば、新たな世界が見えるだろう。
最後の記事が99日前とか出てびっくりした、こりゃいかんね。
言い訳すると多分twitterのせいになる。
私の思考は短絡的な物が転々とするものだと考えている、こういうブログは向いてないのかもしれない。
そもそものきっかけがまとまった文章書きたかったというリビドーだからしょうがないかもしれない。
かもしれないと、続けたところでまた違うことを考えている。
ある種の単語や熟語を頻繁に、いや、短期間に用いることは書き手の文章力を下げる一因となる。これはおそらく、読み手の読解速度と書き手の文章を練る速さの差であろう。
しかし、逆に続けて用いることで文章に癖をつけられる。
これが言い回しとやら。
ボキャブラリーの貧困さはこういう風に取り繕っていきたいと思いました。
気づいたら前回から1か月以上たってて驚いた。
ほんとうに忙しいときというのはあっという間だ。
特に書くことはない。
最近はヒガシズムを聴いている。