昔々、とある少年は規則正しい生活を送っていた。
その少年は日の出を見たことはあっても、日付が変わる瞬間を経験したことはなかった。
時は過ぎ、少年の好奇心はついにこっそり夜更かしするという行動へ導いた。
確認するのは手元の目覚まし時計、電気を消すと暗くて何も見えなかったが、幸いにも目覚まし時計にはライトアップがついていて時間を確認することは苦にならなかった。
そして、その瞬間が訪れる。
少年は息を呑み、全身の神経を研ぎ澄ませ、来たるべき瞬間に備える。
時計の針が上を向いて重なる。
予感していた。少年は日付が変わる瞬間に意味がないことを知っていた。
それでも、なにか起こると微かに願っていた。
さらに年月は経過し、少年は年末のカウントダウンまで起きていられるようになった。
今まで見ることのできなかった年明けのムードをテレビから感じていた。
それは局ごとにずれているカウントダウンだったり、年明けの瞬間の派手な演出だったりであった。
しかし、同時に少年は思う。
「年が明けても何か世界が変わるわけじゃない」
「人間が騒いでいるだけで」
「日付が変わるその瞬間と何も変わらない」
「何も起こらない」
それでも毎年、こたつを家族で囲み、TVとともに来たる新年に冬休みの少年は幸福を感じていた。
最近になって、少年は青年になり、インターネットをも使いこなすようになった。
TVを見る時間は少なくなり、SNSにふける日々。
今まで「新年を迎える」ということだけで楽しかった時間はいつしかつまらなくなっていた。
家族との話がしたいわけでもない、TVは今更気づくが毎年同じことの焼き増し。一種のマンネリだ。
その一方で彼はインターネットを用いて新たなおもちゃを手にしていた。
そのおもちゃは自分の境遇を実況したり、年末の企画やらなんやらを全く意に介さずひたすら友人とコミュニケーションをとったりと様々な挙動を示すが、年明けのその瞬間にはそろって「あけましておめでとう」とプログラムのように出力する。
彼はこのおもちゃのおかげで年末をより一層リアルに感じることが出来る。
おもちゃの中には友人たちもいる。彼の大嫌いなラブラブカップルもさすがに年末は家族と過ごしているようだ。
年が明けることに全く変化はない、だからこそ年が明けることに意味をもたせようとする人々(勿論そんな意図はないだろうが)を見ていたいのだろう。
いつかはそんなことも飽きてしまうのかもしれない。
彼の将来によってはそのおもちゃを捨てたり、おもちゃの事を忘れて何か別の事をしているかもしれない。
それでも今はまだそんなことを考えたくはなかった。
このおもちゃをもってリアルとは全く片腹痛い。
とおもちゃに思いを吐露する彼であった。